「生かじり聖書物語」の出エジプト記は、「再度の契約と幕屋建設」で終わり。これは出エジプト記がここで終わっているから区切りにしただけのことで、聖書の中ではイスラエルの民の旅がこの後も長く続く。イスラエルの民が約束の地であるカナンに入るのは、エジプトを脱出してから40年後のこと。モーセはその直前に亡くなり、指導者の地位はヨシュアに引き継がれる。
奴隷になっていたイスラエルの民が、モーセに率いられてエジプトを脱出する顛末を描いたのが「出エジプト記」。セシル・B・デミルの映画『十戒』(1956)や、ミュージカルアニメ『プリンス・オブ・エジプト』(1998)、リドリー・スコット監督の『エクソダス:神と王』(2014)など、何度も繰り返し映像化されている部分だ。
モーセは旧約聖書の最初の5つの文書の著者だと言われている。
- 創世記
- 出エジプト記
- レビ記
- 申命記
- 民数記
そのためこの5つの文書を「モーセ五書」と呼ぶこともあるが、民数記の最後にモーセの死が書かれているのだから、当然これをすべてモーセが書いたわけではない。現在の学者たちは、これらの文書は複数の資料をもとに、ずっと後の時代に書かれたものだと考えている。
5つの文書の別名は「律法(トーラー)」で、イスラエルの民の生活規範となる各種の決まり事が書かれている部分でもある。有名なのは「十戒」だがそれは律法全体の中のごく一部に過ぎず、律法の中には生活全般や祭儀にまつわるありとあらゆる決まり事が、事細かく書かれている。
こうした決まり事の多くは古代イスラエルでは正しく守られていたのかもしれないが、現在ではまったく役に立たないものになっている。今でもユダヤ人は生活に関連する律法規定は守っているようだが、神殿での供犠などもはや守ろうにも守れない決まりも多く、正直言って読んでいて退屈な部分でもある。
「聖書を読もう!」と決意して創世記から順番に読んでいる人たちの多くが挫折するのが、この律法規定の部分だ。レビ記、申命記、民数記あたりで挫折する人が多いと思う。「生かじり聖書物語」が出エジプト記で一度中断してしまったのは、この律法規定をどうすれば物語化できるのかに解決法が見つからなかったからだ。
旧約聖書は伝統的に、創世記から民数記までの5つの文書をひとつのまとまりと見る。だがイスラエルの民のエジプト脱出からカナン定住までの道筋という意味では、出エジプトからヨシュア記までの5つの文書をひとまとまりに考えた方がいいように思う。
ヨシュア記でカナンに定住したイスラエルの民は、その後、名だたる英雄豪傑が活躍する士師記の時代を経て、サウル王やダビデ王が登場するサムエル記以降の王朝時代へと入って行くのだ。
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