2015年3月3日火曜日

拝金主義は究極の偶像崇拝(詩編 115)

国々の偶像は金銀にすぎず
人間の手が造ったもの。
口があっても話せず
目があっても見えない。
耳があっても聞こえず
鼻があってもかぐことができない。
手があってもつかめず
足があっても歩けず
喉があっても声を出せない。
偶像を造り、それに依り頼む者は
皆、偶像と同じようになる。
(詩編 115:4-8)
 現代人にとって最大の偶像は「金銭」だろう。現代社会では「拝金主義」がまかり通っている。現在の安倍内閣が高い支持を受けているのは、安倍首相の経済政策、いわゆるアベノミクスが一定の成果を上げたと見られているからだ。

 でもアベノミクスを支持している人たちも、安倍首相や自民党政権の政策のすべてを支持しているわけではない。「安倍内閣の経済政策を支持しています」というのは「安倍内閣が目指している原発再稼働を支持しています」とイコールではないし、「安倍内閣が目指している憲法改正を支持しています」という意味でもない。

 だが実際にはどうか。安倍首相は「わたしへの支持は原発再稼働への支持だ、憲法改正への支持だ」と言って異論を封じ込めようとしている。「それは違う!」と声を上げるべきなのだが、それを許さない空気が日本を覆っている。

 人間が生きていくのにお金は必要だ。でもお金だけを価値基準にしてしまえば、そこには拝金主義がまかり通ってしまう。日本人の多くは拝金主義という偶像崇拝に陥り、その祭司である安倍首相に異論を差し挟めなくなってしまった。

 偶像を拝む者は、偶像そのものに似てくると聖書は語る。偶像は口があっても話せず、耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことができず、手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない。これはまさに、安倍首相の前にあらゆる異論や反論を封じられてしまっている日本人の姿そのものではないか。

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