2015年2月16日月曜日

マナの奇跡(出エジプト記 8)

 エジプトを逃れたイスラエル人は飢えと渇きに苦しめられ、モーセに不満をぶつけた。神は天から「マナ」と呼ばれるパンを降らせて人々の飢えを満たし、泉を湧き出させて渇きを癒やした。

 エジプト軍の追撃を振り切ったイスラエル人にとって、当座の問題は食糧と水の確保だった。食料はエジプトから持ち出した分がまだあるにしても、水の確保が難しい。荒れ野を進む人々の数は多く、あちこちにある小さな井戸や泉だけでは、とても必要量を満たすことはできなかった。水の補給無しに荒れ野を3日進んだ一行は、そこで大きな水源を見つけた。だがその水は苦くてとても飲むことができない。人々はこのことで口々に文句を言ったが、モーセが神に示された木を水に投げ込むとその水は甘くなった。このことから、この土地はマラ(苦い)と呼ばれるようになった。

 神はこの場所でモーセに掟と法を与え、モーセを試みて言った。「あなたがわたしの声に聞き従う限り、わたしはエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたを癒す神である」。

 イスラエル人たちはマラを出発してエリムに到着した。そこには12の泉があり、70本のナツメヤシが茂る巨大なオアシスだ。人々や家畜は十分に喉を潤し、しばらく宿営してようやく落ち着くことができた。だがその場に長逗留することはできない。そこは神が約束した土地ではないし、そもそも荒れ野のオアシスでは何百万という人々を養う事はできない。そこはあくまでも、水とわずかばかりの食料を補給する中継地に過ぎないのだ。

 一行はエリムを離れてシナイ方面に向かったが、途中にはシンの荒れ野が広がっている。人々はまた不平を言い出した。

 「こんな荒れ野でどうしろというのだ。神は俺たちを餓え死にさせるつもりなのか。俺たちはここで、飢え渇いてのたれ死んでしまうのか!」

 「こんなことなら、神の手にかかって死んだエジプト人の方がよほど幸せだったろうよ。少なくともあの連中は、肉もパンもたらふく食えたんだからな」

 「モーセたちは俺たちをこの荒れ野に連れ出して、みじめに餓え死にさせようとしている。あいつらが餓え死にするのは勝手だが、俺や家族までその巻き添えになるのは真っ平ごめんだぞ」

 神はこうした人々の声を聞くと、モーセに向かってこう言った。

 「わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。人々は毎朝それぞれ必要なだけを集め、その日のうちに食べるのだ。翌日まで残しておいてはならない。ただし安息日の前日には、翌日の分と合わせて2日分を集めるがいい。またわたしはあなたがたのために肉を与える。毎日夕方には宿営の前にうずらを集めよう。人々はそれを捕らえて食べるがいい」

 この日から、イスラエルの人々は毎朝宿営の周囲でパンを集め、夕方にはうずらを捕らえて食べた。集めるパンの量はひとりずつ決められていたが、家から持ち出した壷に多く集めても家に帰る頃には決められた量まで減っており、少なくしか集められなくても、家に帰るとなぜか決められた量まで増えていた。食べ残して翌日まで保存しておくと、パンは傷んで虫がわいてしまう。安息日にはパンが降らないが、前日多めに集めたパンは、安息日当日になってもまったく味が変わらず新鮮なままだった。人々はそのパンを「マナ」と名付けた。人々はマナを食べながら旅を続け、約束の地に入るまで40年にわたってそれを食べ続けることになった。

 こうして食料の問題は解決したが、水の問題はその後もたびたびモーセを悩ませた。一行がシンの荒れ野を抜けてレフィディムに差し掛かる頃、人々は飲み水が手に入れられず渇きに苦しめられた。人々はモーセに詰め寄って、いつもと同じように不平不満をぶちまけたが、こればかりはモーセにはどうしようもない。「わたしに言われても困るのだ。すべてを決めているのは神なのだから。今はこの状況を受け入れて、神にすべてをお任せしようではないか」。だが人々はそんな言葉に納得しない。

 「お前はそれでいいかもしれないが、俺たちには妻も子もいれば家畜も抱えているのだ。大人たちは我慢してもいい。だがエジプトを出てきたばっかりに子供や家畜が渇きで死んでしまうなんて、俺たちはそれを黙って見ていることなどできんぞ!」

 「お前は神が我々についていると言うが、こんな有様ではとても信じることはできん。なぜ神は我々を苦しめるのだ。神は我々の間におられるのか!」

 人々の怒声の中には殺気がこもり、中には手に石を持って打ちかかろうとする者までいる始末だ。神はモーセに命じて、イスラエルの中から長老数名を選ばせた。またエジプトでナイル川を打って奇跡を起こした杖を持たせると、長老たちと一緒に民の前を進ませた。モーセは神に命じられるままにホレブの岩まで進むと、手に持った杖で岩を打った。するとたちまち岩から水が湧き出て、人々は飲むことができるようになった。

 モーセはその場所をマサとメリバと名付けた。試しと争いという意味だ。イスラエルの人々が、「神は我々の前にいるのか」と言って神を試したからだ。

(出エジプト記15~17章)

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