2015年2月25日水曜日

わたしの聖書の物語

子供の頃に買った最初の聖書

 僕が持っている聖書の話をしようと思う。

 聖書コレクター的に古い聖書をもらったり購入したのは別として、自分用の聖書として手にした聖書で一番古いものは日本聖書協会の口語訳聖書だ。旧新約合本の中形聖書。ハードカバー。

 これは礼拝出席用に、親に購入してもらった。これ以前に新約聖書は持っていたのだが、大人と同じ旧新約聖書が1冊になった分厚い聖書が、自分のものになったのはうれしかった。

 購入時のカバーがなくなっているので、これが当時いくらしたのかはわからない。現在はフェルト製のカバーがかかっているのだが、これは当時通っていた教会の牧師の娘さんが作ってくれたもの。

教会での思い出

 滋賀県彦根市の教会に通っていたんですが、牧師さんには三人の娘さんがいて、僕と弟はよく遊んでもらっていました。教会併設の保育園があって教会学校の分級はそこでやってたんですが、その後も居残って、保育園の遊具である巨大積み木で家を作ったりしてた。その間、大人たちは礼拝をしているから子供だけで楽しかったな。

 あと保育園の遊具で遊んだり、木登りをしたり。自宅(牧師館)に招かれて、レコードを聴いたりした。「知り合いの牧師さんの息子が歌手になってレコードを出している」と言われて聴かされたのが、「くそくらえ節」や「がいこつの唄」「チューリップのアップリケ」などだったのだが、これってフォークの神様・岡林信康なんだけど当時はそんなこと知るよしもない。彼は近江八幡の牧師の息子なのであった。子供心に大ウケしたのは「くそくらえ節」ですけどね。

年季の入ったおんぼろ聖書だが……

 で、聖書の話に戻るのだが、このフェルトカバーを作ってくれたのが三姉妹のうちの誰だったかはもう覚えていない。表紙のキャラクターは何だろう。イヌかな。このへんは1970年代の少女マンガ風のセンスだな。これはフエルトを切り抜いて、アイロンで圧着するようなものだと思う。一度はがれてきたので、木工ボンドを薄く延ばして貼り直したことがある。


 裏表紙には僕のイニシャルが刺繍してある。これがあるので、僕はいまだにこのカバーを捨てられない。人にプレゼントをするとき、こういう手作業は大事だよなぁ……。


 聖書の中身はだいぶヨレヨレになってますが、大きな破れなどもなく、まあきれいなもんです。ほとんど読んでいないというのがありありとわかるけどね……。聖書を読む人は、読んで読んで読み潰しちゃうからな。僕の聖書は書棚のお飾りでした。

 

 裏表紙の見返しには「1975.11.8 服部弘一郎」という名前が書いてある。これはたぶん父親の字だと思う。今年が2015年だから、これは40年前に購入した聖書だということがわかる。


 本文で1箇所、破れ目をセロテープで補修したあとがある。テープの接着剤が変質して用紙に染みこみ、これが変色してひどいありさま。ちなみに接着剤は接着力を失ってテープ本体から剥落し、テープ本体は剥がれてしまっている。でも補修のあとだけはこうして痛々しく残る。本をセロテープで修理してはいけませんなぁ……。

 僕は新共同訳聖書は何冊も持っているのだが、口語訳聖書で旧新約の合本を持っているのは、じつはこの1冊きりなのだ。今どき口語訳聖書を使う教会もあまりないし、僕は新共同訳のほうが馴染みやすいので、読んだり引用したりするのも新共同訳がメインになる。口語訳はネットにテキストを検索できるので、調べ物などもネット利用が多い。つまりこの口語訳聖書は、これからも、今後も、ずっと利用されることなく書棚に突っ込みっぱなしになる運命なのだ。


 カバーのフェルトはグレーだったものが、小口部分などは日に焼けたように茶色くなってしまっている。保管状態の悪さがうかがい知れるなぁ。まあ個人的にいろいろな思い出がたどるよすがになる聖書なので、これはこれで持っているだけで価値があると思ってますけどね。

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